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エジプトの自立明治維新は太政官以来の官僚制度をはじめ、100数十年を経ても残っているものも多い成功した革命でした。これが失敗していればどうだったでしょうか。歴史にイフは禁物ですが、余り知られていない日本の明治維新の同時代の「維新の失敗」に、上記のエジプトの例があります。
エジプトは今日のトルコの1県でした。それが実力者が出て、その子々孫々、奇跡的に近代化政策を取りつづけ、植民地の多かったアフリカで1、2を争う独立国になりました。しかし19世紀前半に独立したのに、後半にはイギリスのカイライ国家に逆戻りしてしまいました。
エジプトで何が起こったのでしょうか。エジプトの近代化は、かの有名なスエズ運河を作るほど成功したのにです。その理由は経済にありました。その過程は、
1、近代化政策のための財政破綻。スエズ運河も手放さざるを得なかった。
2、債権者であるイギリス・フランスが財政権を握る。軍事・外交などはそのまま。
3、「心ある志士」の反乱が起きて、それを機にイギリス一国がエジプトを植民地化する。
という道をたどりました。日本で言えば、文明開化にお金がかかって財政破綻して、外国人が財務大臣になります。そこで西郷隆盛辺りが反乱を起こし、日本はそれを鎮圧した国の植民地になった、というところでしょうか。しかしわが国はなぜそうならなかったのでしょうか。
明治維新とは、廃藩置県とか内閣・国会などの政治に目が行きがちですが、政治のみならず教育・産業・金融などを含めた総合的な改革だったからです。財政については、地租改正で農本的な租税のしくみを変え、民間の力がつくまで官営工場を運営し、銀行を作って通貨発行権を独占したようなことも改革のうちでした。
エジプトでは同じ近代化をしても専制国家でしたが、日本は国民国家としての体裁を整えました。それは政治経済のみならない、広い分野にわたる制度を整えたことに要因があります。江戸時代に育った日本人の労働生産性・教育水準・遵法意識の高さもありますが、総合的な視点でモノを捉え得たところが一番大きいと思います。
いかなる組織でも、近代化しようと思えば、紙切れの制度のみ作ってそれで終わり、としないのは、こういうところに原因があるのかも知れません。