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当事務所の近所に、大学の大先輩がいます。同じサムライ業で、私とはケタ違いの収入のある方です。地方大学ですので、東京での同じ大学の知り合いは現在彼しかいません。しかも同じ学生寮だったのです。20歳年上ですから、人間の格からして違います。そんな大先輩が事務所に来られました。
仕事の話以外は、ビジネスの格言謹聴、さらに寮の話で盛り上がりました。盛り上がったといっても、同窓生の先輩とは訳が違います。地方から出てきて東京で1代で地歩を築いた方というのは凄いものです。収入の差以上に話のレベルからして違います。社労士関連の仕事の話以外は、まったく緊張して謹聴状態でした。
私はこの方に学生時代当たり前ですが会ったことはありません。初めてお会いしたのは3年前です。しかし、20年の時の差を超えた共通認識がありました。それは、
○ 閉鎖的だった高校時代を上回る「社会」というものを学んだ時代だった
ということです。
いろいろな高校がありますが、地域の中の高校を出ると、北海道から鹿児島まで、全国から学生が集まる寮は人間の多様性に満ちているのです。ましてや、親もとを離れて1人で暮らし、精神的にも自立する覚悟もできている人たちですから、人間づきあいが濃くならざるを得ないのです。おまけに下級生は相部屋です。その中でさまざまなドラマが生まれます。
そういう体験は20年の隔たりがあっても、また現在においても変わらないでしょう。社会というのは他人といかにうまくやっていくかに尽きると思います。その訓練なしで社会人になるというのはありえないということでしょう。
しかしこの先輩は学生運動の頃の方です。私の年代の甘ちゃんではありません。先輩とすれ違って礼をしなかっただけでぶん殴られるという秩序があった時代です。私を見て大いに物足りない思いがあったと思われました。
先輩は寮に1年半いて私は5年いました。「5年もいたのにバイタリティーがないな」と言われるのも当然です。昔は若者に良くも悪くも熱気のあった時代のようです。しかし形を変えても、年代を経て変わらない何かがあるように、現代の若者が「劣った」ということにはならないような気がします。