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芙蓉部隊:日本の敗戦間近にあって、特攻に参加しなかった航空部隊です。
神風特攻隊と言いますと、日本の人情的なノスタルジーで語られることが多いのですが、大戦末期に特攻に参加しなかった部隊もありました。それが上述の芙蓉部隊です。特攻を通して仕事や人事において、人情と合理性とはどういう”折り合い”を付けるべきものか、考えてみました。
思えば、特攻も合理性から生まれたものです。
○ 通常攻撃ではとても戦果を出しがたい。技量も兵器の質量も足らぬ。
○ だから同じ戦死するなら、確実な体当たり攻撃で。
という論理です。しかし特攻の総司令官自らが「統率の外道」と言っていたように、死ぬことと「仕事」の等価交換はナンセンスだったのです。これは非合理です。ですから「お前たちだけを死なせはしない」というような人情が必要でした。
ところで上記の芙蓉部隊の論理は、
○ まだ通常攻撃(飛行機ごと体当たりでなく、爆弾を落として命中させて帰ってくる)でやれる余地あり。
技量も高まるし、兵器も使いようによる。
○ だから通常攻撃を続ける。
というものでした。パイロットの訓練は効率を第一にして教えたため、訓練時間を約1/3に短縮し、兵器も特殊爆弾を用い、また夜襲攻撃という分野に特化しました。この辺りも徹底的な合理性です。では「普通の」特攻と何がどう違ったのでしょうか。
実は余り違いはありません。この芙蓉部隊の司令官は別に特攻は非人道的だから、という理由で止めたのではないのです。日本本土上陸作戦が遂行されれば「これ以上の通常攻撃は無理」として、特攻に踏み切るつもりでした。
現代社会はいかがでしょうか。特攻に走る会社は合理性のような人情で走っています。しかしヒトを使って実績を挙げる会社はいかがでしょうか。「特攻反対」のような人情に見える合理性で走ります。現在は別に特攻に走らなくてもいいのに、合理性を無視してヒトのシカバネを築いているような感覚があります。
ヒトの使い方には、精神論にならなくても、芙蓉部隊のような「やり方」があるのです。合理的であれば少なくともヒトは納得して付いて行きます。


