久々の100km走(上)より続きます。この辺りは関東武士団の活躍したところで、歴史の匂いが方々にあります。
土浦から10数km、小田城は、650年前の南北朝時代、凋落著しい南朝の忠臣、北畠親房が「神皇正統記」を著した場所です。"南朝は正しいのだ!"という主張を抜いた硬骨の忠臣親房に敬意を表してか、サイクリングロードは廃線跡を逸れて遺跡を迂回します。
写真は「天守台」のようなところですが、せいぜい標高数メートルです。こんなアプローチの簡単な、攻めやすそうな平城だと落ち着いて著作ができるのかと思いますが、当時は一面湿地帯の要害で、なおかつ非凡人親房は場所を選ばぬ創作者だったのでしょう。

昔からの街の常陸北条では、源頼朝の時代の関東の群雄の一人多気太郎のお墓に詣でます。北畠親房よりさらに150年ほど前の人物で、この地域の「開祖」のような方です。昔ながらの五輪塔に、家来のように小さい五輪塔が寄り添う様子は、武士団の長ならではです。
筑波が近付くと筑波山が目前に迫ってきます。写真のように、平野の中の突骨とした山塊は存在感があります。さすがは関東100名山です。

さらに走ると旧筑波町の玄関、筑波駅です。鉄道廃止後もバス・タクシーの営業所が残り、少し前までは改札口などもあったようなのですが、すっかりサイクリング・ロードと営業所が分割され、往時を偲ぶよすがもなくなっていました。筑波山登山も自家用車とつくばエクスプレスに押されているのか、心なしか寂れて見えます。
しかし廃線マニアはともかく、一般人にも親しまれる鉄道廃線の活用法としては、この「つくばりんりんロード」は一流でしょう。ボランティアの方がゴミを拾ったりして整備しているのを方々で見ました。

土浦から10数km、小田城は、650年前の南北朝時代、凋落著しい南朝の忠臣、北畠親房が「神皇正統記」を著した場所です。"南朝は正しいのだ!"という主張を抜いた硬骨の忠臣親房に敬意を表してか、サイクリングロードは廃線跡を逸れて遺跡を迂回します。
写真は「天守台」のようなところですが、せいぜい標高数メートルです。こんなアプローチの簡単な、攻めやすそうな平城だと落ち着いて著作ができるのかと思いますが、当時は一面湿地帯の要害で、なおかつ非凡人親房は場所を選ばぬ創作者だったのでしょう。

昔からの街の常陸北条では、源頼朝の時代の関東の群雄の一人多気太郎のお墓に詣でます。北畠親房よりさらに150年ほど前の人物で、この地域の「開祖」のような方です。昔ながらの五輪塔に、家来のように小さい五輪塔が寄り添う様子は、武士団の長ならではです。
筑波が近付くと筑波山が目前に迫ってきます。写真のように、平野の中の突骨とした山塊は存在感があります。さすがは関東100名山です。

さらに走ると旧筑波町の玄関、筑波駅です。鉄道廃止後もバス・タクシーの営業所が残り、少し前までは改札口などもあったようなのですが、すっかりサイクリング・ロードと営業所が分割され、往時を偲ぶよすがもなくなっていました。筑波山登山も自家用車とつくばエクスプレスに押されているのか、心なしか寂れて見えます。
しかし廃線マニアはともかく、一般人にも親しまれる鉄道廃線の活用法としては、この「つくばりんりんロード」は一流でしょう。ボランティアの方がゴミを拾ったりして整備しているのを方々で見ました。









